高津臣吾は、亜細亜大学を経て1990年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団し、1993年の抑えに転向以降、シンカーを武器に90年代のヤクルト黄金期を支え4度の日本一に貢献したピッチャーです。
2003年には当時史上初の250Sを記録し、2004年にはMLBのホワイトソックスに移籍した翌年の2005年にはメッツでワールド・シリーズ制覇に貢献しました。
その後、ヤクルト、韓国、台湾、独立リーグと渡り歩き、2012年はBCリーグ・新潟で選手兼任監督としてチームを指揮し、2020年からはヤクルトスワローズ一軍監督に就任しています。
今回は、高津 臣吾の現役時代のシンカーの投げ方についてご紹介します。
高津 臣吾のシンカーの凄さ
高津 臣吾選手は、それまで速く、変化の少ないシンカーは投げていましたが、ヤクルトスワローズ在籍時代に野村克也監督から、より遅いシンカーを投げられないかと言われたことで、球速の異なるシンカーを習得しました。
高津 臣吾選手のシンカーは、サイドスロー特有の横からボールをリリースする為、下から一旦浮き上がった後、バッターの手前で沈むような軌道を描きます。
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高津 臣吾のシンカーの握り方
高津 臣吾のシンカーは、中指をボールの縫い目に添わせるようにして、中指はやや外側にボールの縫い目が当たるようにし、人差し指は中指でスピンをかける為、ボールの縫い目から外します。
そして、薬指は縫い目にはかけず、親指はボールの下を支えるようにしてボールを握ります。
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高津 臣吾のシンカーの投げ方
高津 臣吾のシンカーは、ストレートと同じ腕の振りをしながら、手首を立てた状態でリリース直前に中指の外側で弾くようにしてスピンをかけ、中指と薬指の間からボールを抜くのではなく小指の外側からボールが出てくるイメージでボールをリリースします。
ボールのリリースからフォロースルーは、自分から見て11時から5時の方向へ腕をひねることで、より強いスピンをかけるようにして投げることも高津臣吾選手のシンカー特有の投げ方です。