潮崎 哲也は、甲子園出場をなく、社会人の松下電器に入部しそこで実力をつけ19歳の若さでソウルオリンピックの日本代表チームに選ばれました。
そこで野茂英雄、石井丈裕という後のパリーグを代表する選手と共に先発ローテの一角として活躍し、銀メダル獲得に貢献。
そして、1989年のオフに西武ライオンズのドラフト1位指名を受けて入団し、入団1年目から鹿取と共にダブルストッパーを形成し、2004年にプロ通算523試合登板、82勝55敗、55セーブという輝かしい成績を残して現役を引退しました。
潮崎 哲也のウィニングショットは、100km/h前後の球速で50cm近くも沈むシンカーで、消える魔球と呼ばれパリーグの強打者達に恐れらました。
今回は、潮崎 哲也のシンカーの投げ方についてご紹介します。
潮崎 哲也のシンカーの凄さ
潮崎 哲也のシンカーは、左投手が投げるカーブのような軌道のイメージで、この軌道で投げる為、握り方もカーブと逆、リリースもカーブと逆という発想から潮崎 哲也のシンカーが誕生しました。
潮崎 哲也のシンカーは、100km/h弱の球速で一度浮き上がり、そこから落ちる軌道を描きます。
西武ライオンズで同僚だった松沼雅之氏は、パームボールのように揺れながら浮き上がり、そこからフォークのように落ちてくると表現しています。
当時同僚の清原和博選手は、潮崎哲也選手のシンカーを見て同じチームの同僚で良かったと述懐しています。
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潮崎 哲也のシンカーの握り方
人差し指の側面を縫い目にかけながら縫い目に添わせ、中指は縫い目にはかけず、中指の側面でボールを固定するように握ります。
中指と薬指の間は、大きく開けて握り、イメージとしては薬指にボールの乗せるイメージでボールを握ります。
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潮崎 哲也のシンカーの投げ方
リリースの瞬間はボールを体の外側に向け、人差し指でボールを滑らせるようにして抜けていくように投げます。
その際、手首は固定し、投げる瞬間にひねったりはせず、イメージとしては自分の手をテニスのラケットに見たて、ドライブショットを打つような感じでボールに回転を与えます。
また、ボールをリリースする瞬間は、薬指が邪魔をしないようにしっかりと下げて投げることが重要で、ボールに強いトップスピンを掛けて投げます。