吉永幸一郎・的山哲也選手のキャッチング

イチロー選手や、松井秀喜選手が活躍した1990~2000年代にかけては、プロ野球の歴史に名を残す名捕手がズラリと揃っていました。

中でも古田敦也選手や谷繁元信選手、城島健司選手や伊東勤選手など、稀代のキャッチャーが名捕手として名を連ねますが、この時代は玄人好みの名選手もいた時代です。

今回は、この時代に活躍した吉永幸一郎・的山哲也選手のキャッチングについてご紹介します。

吉永幸一郎選手の現役時代

吉永幸一郎選手は、東海大工高から1987年のドラフト5位で南海ホークスに入団し、1992年には正捕手になり、.290を打って打率8位、以後も捕手としては高打率をマーク、大捕手になっていくかと思えたが、1997年に城島健司に正捕手の座を奪われ、打撃を生かすためにDH、一塁手として起用されました。

そして、2000年には読売ジャイアンツに移籍し2003年に現役引退。

現役時代は、強打の捕手・一塁手としてプロ通算16年で1057安打、153本塁打に加え、ベストナイン2回も獲得しています。

写真:bjszktdr より

キャッチング

najogqmf より

吉永幸一郎選手は、1992年には正捕手として.290を打って打率8位をマークし、1994年には初のベストナイン賞を獲得する前年のキャッチングです。

ピッチャーがモーションに入る前に一旦ミットを大きく下げ、ボールの軌道に先回りしてミットを出すキャッチングです。

あらかじめボールの軌道に移動し捕球時には比較的体に近い位置からミットを出して肘を曲げ、ミットを外から内へと動かしています。

構えは、どっしりと低い重心での構えで下半身よりは上半身を中心にキャッチングを行う方法です。

バッティングフォーム

左打席での構えやスイングは、通算本塁打数・通算打点数共に歴代3位を記録した門田博光によく似ているバッティングフォームです。

特にバットコントロールの良さが光っており、松井秀喜は巨人時代に「吉永さんの打撃は凄いですよね。特にインコースのバッティングは真似したくてもできませんよ」と吉永幸一郎のバッティングを評しています。

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的山哲也選手の現役時代

的山哲也選手の入団当初の近鉄バッファローズは、古久保健二選手と光山英和選手という実績ある2人がいた為、入団から3年間はあまり出場機会に恵まれませんでした。

1997年にはの光山選手がトレードで中日ドラゴンズに移籍することになり、開幕戦から先発マスクを被り、100試合に出場し84試合でスタメンを務めたキャッチャーです。

打撃よりは捕手としての評価が高く、キャッチングと強肩を活かした盗塁阻止率の高さには定評がありました。

写真:hnsntgsv より

キャッチング

hnsntgsv より

外国人選手との会話は通訳なしというほど英会話が堪能であることから、近鉄時代はケビン・バーン投手やジェレミー・パウエル投手など、外国人投手とバッテリーを組むことが多く、1998年に近鉄バッファローズに在籍したナックルボーラーのマットソン投手とのバッテリーでもバッテリーを組んでいます。

ナックルボールを受けるキャッチャーは、規格内で一番大きいキャッチャーミットを使いますが、的山哲也選手も例に漏れず大きめのミットを使い、最後まで変化をしっかりと最後まで見られるように、体の近くで捕ることを意識しキャッチングをしています。

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