槙原 寛己氏は、1981年のドラフト会議で巨人から1位指名を受けプロ野球に入団し、球速150km/h超のストレートを武器に、2年目の1983年には12勝を挙げ新人王に輝来ました。
そして1986年には代名詞とも言える高速スライダーを武器に、翌年の1987年から3年連続2ケタ勝利。1988年にはリーグ最多の187奪三振。斎藤雅樹氏と桑田真澄氏との先発三本柱で一時代を築きました。
1992年からは、4年連続2ケタ勝利を挙げ、1994年には完全試合を達成。その後、1998年にクローザーに回り、2001年限りで現役引退をしました。
2021年現在は、野球解説者やYouTubeでご自身の経験を語るなど、精力的に活躍しています。
今回は、槙原 寛己の現役時代の高速スライダーの投げ方についてご紹介します。
槙原 寛己の高速スライダーの凄さ
槙原 寛己氏は、150km/hの直球とフォークに加え、大きく横に滑るスライダーを武器に、日本プロ野球における平成唯一の完全試合を達成したピッチャーです。
高速スライダーを習得したきっかけは、篠塚和典氏がブルペンでスライダーを投げているのを見て、
「近くでキュッと曲がる。これだと思って教えてもらいました。わずか数日で自分のものにできたんで、やっぱり俺って天才って(笑)」とスライダーを習得する。
引用元:Yahooニュース
という経緯だったそうです。
1986年後半から投球の軸にしていた槙原 寛己氏のスライダーは、真ん中へ投げた際、外角ギリギリまで横滑りする軌道を描き、まれにスローカーブも交えながら、引退まで三振の取れる本格派として活躍しました。
スポンサーリンク
槙原 寛己の高速スライダーの握り方
槙原 寛己の高速スライダーの握り方は、ツーシームのようなボールの握り方です。
具体的には、人差し指と中指をボールの縫い目に添うようにして指を置き、親指はボールの縫い目にかけずボールの下部を支えるようにしてボールを握ります。
スポンサーリンク
槙原 寛己の高速スライダーの投げ方
槙原 寛己の高速スライダーは、ストレートを投げる時と同様強く腕を振っていき、右肘をひねらずにボールの縫い目に残した人差し指と中指で外側に切るようにしてリリースしていきます。
この投げ方をすることで、速い球速を維持した形で真ん中付近にめがけて投げると外角ギリギリまで横滑りするような軌道になります。