代打の切り札の条件とプロ野球で歴代の代打の切り札として活躍した3人の選手

代打の切り札の条件とプロ野球で歴代の代打の切り札として活躍した3人の選手

唐突に打席に入ることになる代打で結果を出すのは、とても難しいことですが、代打という数少ない場面できちんと活躍することができる選手もいます。

代打で結果を残せる選手は、何を持っているのでしょうか?

代打でバットを振る田中選手

今回は、代打で結果を残す方法とプロ野球で歴代の代打の切り札として活躍した3人の選手についてご紹介します。

代打の緊張感という悪条件

代打というのは難しい仕事で、スタメンのバッターなら前の打席で同じピッチャーのボールを見ていることも多いので、3回、4回打席が回ればヒットを打てる確率も高くなりますが代打は違い、いきなり結果を求められます。

多くの場合は毎回異なるピッチャーで、タイミングが違えば、ボールの軌道も違い、経験から得る情報量の部分で不利で、気持ちの面でも決して楽ではありません。

誰であっても、試合で最初の打席は緊張するものですが、代打で出てくるバッターは、いつもその緊張と向き合わなければならず、多くはランナーがいるチャンスの場面で、その緊張感は倍以上です。

スポンサーリンク

代打の肉体面でのハンデ

代打は肉体の面でもハンデがあり、そもそも選手の身体は、試合の緊張感の中で動いてこそほぐれ、ピッチャーのボールや打球などのスピードにも慣れ、感覚的なものも研ぎ澄まさます。

この試合勘と言われるものは、どれだけアップして素振りをしたりしてもそこまで持っていくのは難しくなります。

スポンサーリンク

代打で結果を残す方法

緊張感や肉体面での悪条件であるのにも関わらず、代打で結果を残す選手もいますが、シンプルな答えや理由はかんたんならば、誰でもできていますが、言うなれば準備が必要で、情報の少なさは、データを集め実際に見てシミュレーションすることで補うことが必要です。

そして緊張は、「打たなければならない」を「とにかく、ボールを呼びこめばいい」などのシンプルな行動に置き換えて解きほぐします。

そして肉体的な不足は、入念にアップすることで少しでも減らすそんな準備を徹底すればこそ、いくつかの結果を残せる可能性が格段に違ってきます。

そして、いずれにせよ1球目を思い切り振れるかどうかということも重要です。

もちろんはっきりと分かるボール球は別ですが、まず1球目にタイミングを合わせて振ってしまうことです。

ファールになっても、空振りしても、もちろんたまたま打ててしまってもかまいません。

とにかく一度思い切り振ることで、ピッチャーの感じ、またその日の自分の体の感じがかなりつかむことができ、体の硬さもほぐれます。

代打というのは、その試合で、もう1度打席がまわってくることはまずありません。

その為、その1打席に賭けてとにかく思い切り振っていく、という気持ちを出していくことが重要です。

スポンサーリンク

プロ野球で歴代の代打の切り札として活躍した選手

プロ野球では、勝負をかけたここ一番という場面で代打として出てきて、結果を残し続ける代打の切り札と言われる選手がいます。

ここではその3選手をご紹介します。

川藤 幸三選手

川藤 幸三氏は、若狭高校から1967年のドラフト9位指名を受け阪神タイガースに入団し、俊足巧打の野手として期待されましたが、アキレス腱損傷の大ケガを負い、代打での転身を遂げた選手です。

現役生活は阪神一筋19年で、通算代打成績は318打数、84安打、11本塁打、58打点、打率.264と、1984年から引退するまでの3年間は代打一筋の野球人生を過ごし、最終打席もやはり代打での出場で、「球界の春団治」「野次将軍」として人気を博しました。

通算記録に特筆すべきものはないが、一度もレギュラーに定着することなく主力に迫る人気を誇ったという点では、他球団も含め例が少ない選手です。

paul28if より

桧山 進次郎選手

桧山 進次郎氏は、平安高校から東洋大学を経て、1991年のドラフト4位指名を受け阪神タイガースに入団しました。

1995年頃から徐々に頭角を表し、1997年には23本塁打を記録し、以降故障等もありフルシーズンの活躍ができないこともありましたが2003、2005年とリーグ優勝に貢献しました。

2006年からは主に代打として活躍し「代打の神様」と呼ばれ、2013年に現役最終打席において、ポストシーズン最年長ホームランを放ち現役を引退しました。

16岡田 より

大道 典良選手

大道 典良氏は、明野高校から1988年にドラフト4位で南海ホークスに入団し、2年目に一軍初出場すると徐々に頭角を現し、外野と一塁、指名打者で併用されました。

実働22年間で既定打席到達は1度だけですが、左腕投手に滅法強い「左キラー」の異名も持血、主に90年代後半から2000年代前半にかけて長く主力選手として活躍しました。

長く代打職人として活躍している選手らしく、非常にプロ意識が高いことでも知られており、出番が無さそうな試合でも「いきなりグラウンドに出ると眩しくてボールが見にくいから」と、3回あたりから合間にベンチから出て、ウォーミングアップを兼ねて照明の明かりに目を慣らす事を欠かさない選手で結果を残しました。

打撃カテゴリの最新記事