1980年代後半から球界を席巻したのは西武ライオンズでした。
1982年から3度のリーグ優勝を飾った広岡達朗監督でその基礎を作り上げ、1986年からバトンを受けた森祇晶監督の下、9年間で8度のリーグ優勝と日本一を6度という常勝軍団を構築しました。
今回は、その扇の要としてチームを支え、西武一筋で現役を過ごした伊東勤選手と、オリックスから西武へ移籍し、当時メジャーに最も近いとされたキャッチャー中嶋聡選手のキャッチングについてご紹介します。
中嶋聡選手の現役時代
中嶋聡選手は、鷹巣農林⾼から1986年のドラフト3位指名を受け阪急ブレーブスに⼊団しました。
1年⽬には⼀軍デビューを果たし、球団がオリックスとなった1989年に正捕⼿の座を確保。1995、1996年のリーグ連覇と1996年の⽇本⼀に貢献しました。
その翌年の1997年には⻄武ライオンズへの⼊団を経て2003年は横浜に移り、2004年より⽇本ハムへ移籍し、2015年限りで引退しました。
キャッチング
1998年から在籍した西武では、1999年に入団した松坂大輔の“専属捕手”として存在感を発揮しました。
当時の松坂大輔は、プロ1年目から平均球速約146km/hを記録した速球と、スライダーを武器に16勝を挙げて最多勝と新人王を獲得しました。
松坂大輔選手の曲がり幅の大きくキレのあるスライダーの軌道に合わせて、ボールが曲がりきる前にミットを極力前に出し、ピッチャーのより近いところで捕球をしています。
キャッチャーミット
入団し、オリックス〜西武ライオンズに在籍していた時は、ミズノのキャッチャーミットを使用していました。
引退した年にあたる2015年の日本ハムファイターズ在籍時代は、ハタケヤマのキャッチャーミットを使用していました。
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伊東勤選手の現役時代
伊東勤選手は、1981年のドラフト1位で⻄武に⼊団し、強肩と頭脳的なリードでリーグを代表する捕⼿に成⻑し、⻄武の⻩⾦時代を⽀え、2003年限りで現役を引退し、2004年から⻄武の監督に就任しました。
現役通算は2379試合に出場し、打率.247、156本塁打、811打点。主なタイトルはベストナイン10度、ゴールデン・グラブ11度と、この時代の名捕手の一人に数えられる選手です。
キャッチング
ミットは他の選手の物と比べかなり小さいものを使用していたそうです。
伊東勤選手のキャッチングは、ボールの到達位置へ最短距離でミットを出し、点で掴むようにして捕るキャッチングです。
リラックスした状態でも、膝を柔らかくしつつもしっかりとしたキャッチングで、ミットが流れることなく捕球をしています。
また、ピッチャーとの共同ながらもテンポの良いキャッチングも伊東勤選手の特徴です。
キャッチャーミット
伊東勤選手の現役時代のキャッチャーミットは、ゼットの紐入れ加工でツーピース型ウェブ採用のミットを使用しており、コンパクトな作りで操作性に優れているキャッチャーミットを使用していました。
今のものとは異なるゼットの旧ラベルも、皮革の黒と同色ベースで赤のラインとゼットのゴールドが際立っています。