プロ野球で背番号21〜30の歴代選手と系譜

プロ野球で背番号21〜30の歴代選手と系譜

背番号21〜30の番号は、ポジション特有の番号や、選手の特徴で定着している傾向が強い背番号です。

背番号20番台のシニアの野球選手

今回は、プロ野球で背番号21〜30を着けていた歴代の名選手とその系譜についてご紹介します。

背番号21

パ・リーグでエース、セ・リーグでは左エースの背番号で、川崎徳治が南海、西鉄で活躍したこともあり、まずこの2球団でエースの系譜となり、西鉄は西武時代の東尾修、南海では杉浦忠らが着けました。

他にも日本ハム、阪急ではエース格の番号となり、近鉄で最後。楽天で最初のエースの岩隈久志も着けました。

セ・リーグでは左腕エースの系譜があり、DeNAでは野村弘樹から今永昇太へつないでいる背番号です。

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背番号22

現在は、キャッチャーとチームの守護神の背番号として定着し、戦前巨人監督・藤本定義が着けました。

東映・種茂雅之から始まった捕手の系譜を定着させたのが阪神の田淵幸一で、ポジション番号の2が並ぶこともあって各チームで捕手番号となっていきました。

この流れを変えたのが横浜の大魔神・佐々木主浩で、以後は守護神のナンバーともなり、ヤクルトの高津臣吾、阪神の藤川球児の背中で輝いています。

藤川球児のクイックモーション

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背番号23

職人肌の選手が多い背番号で、戦前の巨人で着けたのが俊足堅守の外野手・呉昌征で、戦後は元祖鉄人の南海の飯田徳治、名遊撃手・阪神の吉田義男ら職人肌の男が着け、のち吉田の23は永久欠番となっています。

また、俊足外野手の番号でもあり、ヤクルトの青木宣親、ダイエーの村松有人らも着けました。

大洋(DeNA)には青田昇、ロバート・ローズの強打者の系譜でもあります。

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背番号24

鉄腕・稲尾和久の背番号で西武の永久欠番ですが、2012年からの為その間に秋山幸二、平野謙ら野手たちも着けた背番号です。

巨人では、「8時半の男」宮田征典が輝きましたが、のち中畑清、高橋由伸らが着け、完全に野手番号になっています。

背番号24の高橋由伸のバッティングフォーム

投手では、広島・大野豊、日本ハム・下柳剛、大洋の遠藤一彦と先発、リリーフで活躍した選手もいる背番号です。

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背番号25

強打者の背番号として新しい潮流のある番号で、1948年に阪神に入団した別当薫から印象付けられました。

阪急では野球博士と言われたスペンサーから、世界の代打男・高井保弘という系譜もあります。

2000安打の松原誠らがいた大洋は、横浜時代の村田修一が着け、それがDeNAの筒香嘉智、巨人の岡本和真に継承されています。

広島、阪神の新井貴浩も長くつけた背番号です。

背番号25の新井貴浩のバッティング

背番号26

大洋では好打者が背負った番号で、巨人では中村稔、西本聖、そして、現在は西武の内海哲也が長く着けましたが、内海が着けたのは、巨人で一番最初にこの番号を着けた祖父であり内野手・内海五十雄の継承でした。

日本ハムにも久保田治、江夏豊らの好投手の系譜があり、糸井嘉男がこの番号をもらったのも投手時代です。

大洋では田代富雄ら強打者も着けていた背番号です。

背番号27

戦前から捕手の番号として継承され、巨人では戦前の吉原正喜、V9の司令塔・森昌彦も着けました。

ヤクルトも国鉄時代から捕手で大矢明彦、古田敦也らがいます。

ライオンズは西武になってから捕手番号となり、伊東勤が長く着け、中日は谷繁元信が兼任監督、監督でも変えず着けていた背番号です。

投手では大洋が平松政次でエース番号として輝いています。

背番号28

左腕投手の背中に定着した背番号で、もともと左腕投手ナンバーの傾向はありましたが、阪神の江夏豊で一気に定着しました。

巨人では新浦寿夫、岡島秀樹、阪急・オリックスの星野伸之らが着けています。

また、この番号は広島の衣笠祥雄が3に変える前にこの番号を着け、「鉄人(28号)」の異名を取るきっかけになったと言われています。

ヤクルトの捕手・八重樫幸雄も着けていた背番号です。

背番号29

剛球武器の先発右腕が着ける背番号で、代表的な選手ではロッテの剛腕・村田兆治です。

中日でも鈴木孝政が長く着け、与田剛らが後を受け継ぎ、阪神には20勝左腕・井川慶の名前もあります。

リリーフでは巨人・鹿取義隆、広島の小林誠司、近鉄の山口哲治らも着け、野手ではダイエーや近鉄で活躍した山本和範、捕手出身で外野手に転向した阪急の石嶺和彦ら強打者も着けていた背番号です。

背番号30

もともとは監督が着ける番号として定着しており、最後までそれにこだわったのは、阪急・オリックスの1990年まで着けた上田利治監督でした。

また、大騒動の末、1979年に巨人へ入団した江川卓が選手としてインパクトを残しました。

各球団とも投手、野手で移り変わる番号で、中日であれば郭源治の後、パウエル、森野将彦らの野手番号となった背番号です。

それ以外の背番号の歴代選手と系譜

プロ野球でそれ以外の背番号を着けていた歴代の名選手とその系譜についてはこちらの記事でご紹介していますので、こちらも併せてご覧ください。

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