プロ野球で背番号10〜20の歴代選手と系譜

プロ野球で背番号10〜20の歴代選手と系譜

高校野球や、ポジション番号に準じた背番号を付けているチームで、10番以降は基本控えの背番号になります。

背番号10・17・14を付けた野球選手の後ろ姿

ですが、プロ野球の球団では永久欠番になっている番号も多く、名投手や強打者、盗塁王など有名な選手が付けていた番号が多数あります。

今回は、プロ野球で背番号10〜20を着けていた歴代の名選手とその系譜についてご紹介します。

背番号10

3つのプロ野球の球団で永久欠番になっている番号で、阪神では未だかつてこの番号を一人しか付けた選手がおらず、初代ミスタータイガース藤村富美男が永久欠番にした為です。

そして、中日でも捕手、投手で活躍した服部受弘が着け、永久欠番。

また、楽天では創設時からファンのためにこの背番号は永久欠番になっています。

それ以外では、張本勲(東映ほか)、加藤英司(阪急ほか)、阿部慎之助(巨人)ら強打者が付けることが多い背番号で、学童野球や、草野球でもキャプテンが10番という指定のところがあります。

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背番号11

阪神では大投手・村山実で永久欠番で、巨人では別所毅彦、斎藤雅樹、毎日で荒巻淳らが着けたエース番号の1つです。

また、近鉄の野茂英雄、大塚晶文、中日の川上憲伸、横浜の斎藤隆、日本ハムのダルビッシュ有、大谷翔平ら海を渡った選手が付けることも多く、ヤクルトは荒木大輔、由規、奥川恭伸と甲子園のスター投手の系譜がある背番号です。

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背番号12

背番号12は歴代の盗塁王が付けていたことが多く、盗塁の南海・広瀬叔功が代表格で中日の岡嶋博治、岡島と交換で阪急から入った河野旭輝、巨人の柴田勲も背番号7の前にこの番号を着け、盗塁王になっています。

また、戦前から巨人、阪神で捕手の代表的な番号となっており、他チームでも広島の田中尊、西鉄の日比野武、和田博実、ロッテの袴田英利らが着けた背番号です。

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背番号13

13という番号は、アメリカで好まれない番号であることは分かりますが、日本でも人気がなく、悪役俳優になった八名信夫(東映)や、背面投げの小川健太郎(中日)ら個性派の番号でした。

80年代以降は個性派以外の選手も着用し、普通に着けられるようになったが、リリーフ投手が多く、近鉄・石本貴昭、中日の鉄腕・岩瀬仁紀がいます。

先発投手では、西武一筋の20年間で通算182勝をマークし、2015年に引退した西口文也が入団から着け続けた背番号です。

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背番号14

巨人では伝説の大投手・沢村栄治が着け、永久欠番になっています。

広島では沢村と同じく史上最多3度のノーヒッター、外木場義郎、炎のストッパー、津田恒実、今は大瀬良大地が着けている背番号で、阪急の速球王・山口高志の印象も強いが、90年代以降は先発投手を象徴する背番号で、ロッテの小宮山悟、近鉄の阿波野秀幸、中日の今中慎二らが着けました。

背番号15

投手、野手共に名選手が多く、中日では初代ミスター、西沢道夫で永久欠番になっています。

この背番号15は、徐々に投手が多くなっていますが、あまり投打に関係なかった番号で、東京セネタースの二塁手・有田久徳、巨人では外野手・平山菊二、捕手・山倉和博らもいます。

近鉄は独自路線でデービス、ウィルソンと助っ人打者で、投手の代表格は広島の黒田博樹で永久欠番にもなっています。

そして、福岡ソフトバンクホークスの背番号15は、ダイエー時代に病死した藤井将雄がつけていた番号で、親会社が変わった今もこの伝統は受け継がれており、藤井選手以後誰もつけていません。

背番号16

打撃の神様・川上哲治の番号で巨人では永久欠番です。

阪神では三塁手・三宅秀史、投手・上田二朗、強打者・岡田彰布、リリーバー・安藤優也が着け、ポジションはバラバラです。

広島の安仁屋宗八、阪急の足立光宏、南海の江本孟紀、西武の潮崎哲也、ヤクルトの石井一久と比較的個性派投手が多い傾向を持つ背番号です。

背番号17

巨人ではスタルヒン、槙原寛己も着けたエース番号の1つで、ヤクルトでは巨人と同様エース番号となり、松岡弘、川崎憲次郎が長く着けました。

大洋もかつては秋山登、斉藤明夫がいるエース番号で、阪急では内野手・本屋敷錦吾の後、山田久志が磨き、メジャーに渡った長谷川滋利につないだが、いずれも今につながっていませんが、2019年プロ野球の千葉ロッテマリーンズからドラフト1位指名を受けた大船渡の佐々木朗希投手が着け、この番号の系譜を繋いでいます。

背番号18

球界のエースナンバーで、歌舞伎の十八番から来たとも言われています。

エースナンバーのステータスを確立させたのは、藤田元司、堀内恒夫、桑田真澄とつないだ巨人で、杉内俊哉の後が今の菅野智之です。

ほか松坂大輔の西武、佐々岡真司、前田健太の広島、三浦大輔のDeNA、田中将大の楽天らでこの番号を付けエース番号になっています。

背番号19

戦前から投手番号でしたが、最長は南海ホークスの捕手・野村克也の25年と、投手から野手に転向した近鉄の関根潤三でした。

投手で印象的なのは巨人―阪神で着けたサイドハンドの小林繁で、巨人では「浪人時代の19歳を忘れないため」と上原浩治もこの背番号にこだわりました。

今季から故人となられた野村克也の意思を継ぎ、ソフトバンクの捕手・甲斐拓也が着ける背番号です。

背番号20

中日のエースナンバーで、杉下茂から権藤博、星野仙一、小松辰雄らが着け、輝きを加えました。

他チームでもこの背番号は投手が多く、巨人の大友工、西鉄の池永正明、ロッテの木樽正明、広島では昭和最後の200勝投手、北別府学とエース格の投手が着けました。

変わったところでは日本で外国人選手として唯一の400本塁打を達成しているローズに近鉄がこの背番号を与え、長く着けていました。

それ以外の背番号の歴代選手と系譜

プロ野球でそれ以外の背番号を着けていた歴代の名選手とその系譜についてはこちらの記事でご紹介していますので、こちらも併せてご覧ください。

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