プロ野球で背番号31以降の歴代選手と系譜

プロ野球で背番号31以降の歴代選手と系譜

背番号31以降の番号になると、1ケタ、10番台のステップや、育成中の段階と考える選手も多くなりますが、現役最後までこだわった選手も多く、系譜を作った番号があります。

背番号39の少年野球の選手

今回は、背番号31以降の歴代選手と系譜についてご紹介します。

背番号31〜39

背番号31

背番号31はミスター・タイガースこと阪神・掛布雅之が輝かせた番号です。大洋・横浜では盗塁王・屋鋪要、ロッテではサブマリン、渡辺俊介の背中にもありました。

また、イチロー選手がニューヨークヤンキースで「51」ではなく、この「31」が着けた背番号です。

背番号33

33には最後までこだわり続ける選手がおり、阪急の200勝左腕・梶本隆夫、東映のミスター三塁打・毒島章一、広島一巨人のホームランバッター、江藤智や、

現役では広島の菊池涼介もこの背番号を着けています。

菊池涼介選手の背番号33

背番号34

背番号34は国鉄一巨人の金田正一が着けた左腕エースナンバーで、広島の川口和久、中日の山本昌ら左腕が多く着けました。

また、右腕でも好投手が多く、若手時代の中日・小松辰雄もいます。

背番号35〜38

背番号36は、ヤクルトの池山隆寛が1になる前に着け、35から38が出世番号となっているチームも多く、巨人では背番号35は実績のある選手も着用することが多く、淡口憲治、清水隆行、亀井義行など着用した番号です。

背番号39

背番号39は捕手の番号で大洋の土井淳、阪急の中沢伸一、中日の中村武志、阪神の矢野輝弘らがこだわって着けた番号です。

スポンサーリンク

背番号40〜49

背番号40

背番号40は「よくしまる。だから守備がよくなる」と選んだ広島の捕手・達川光男が有名で、その他には赤ヘル軍団の一員として活躍した高橋慶彦もこの背番号です。

背番号41

41は14からひっくり返した中日のヒットメーカー、谷沢健一、西武の快速右腕・渡辺久信、日本ハムほかの稲葉篤紀、中日のセットアッパー、浅尾拓也など好選手がこだわって着けた背番号です。

浅尾拓也が着ける背番号41

巨人の斎藤雅樹は1989年にこの番号で20勝を挙げましたが、翌年からは11に変え、その翌年の1990年も20勝をあげました。

背番号44

阪神のバースが着けた44は、これも「4(死)」が入り、昔は日本人選手があまり着けず、日本ハムのクルーズ、阪急のブーマーらの助っ人強打者の印象が強い背番号です。

ですが、その後多くはありませんが、日本人選手も普通に着けるようになり、大洋・加藤博一、巨人・緒方耕一と走塁で名を馳せた選手達の背中にもあった背番号です。

背番号47

47は西武で工藤公康が左腕エースとして確立させましたが、最初にこだわったのは阪神の300勝右腕・小山正明でした。

近代でもソフトバンク・巨人で活躍した杉内俊哉など左腕のエースが着ける背番号として定着しています。

背番号49

背番号49には首位打者が2人おり、1989年の巨人・クロマティと1991年のロッテ・平井光親が着けました。

また、1950年代、1960年代に南海ホークスの主力選手として活躍した、皆川睦雄が入団した時着けていた背番号です。

スポンサーリンク

背番号50〜

背番号51

オリックスのイチローが着けた51は、東映の大杉勝男、近鉄の土井正博、広島の江藤智、前田智徳、鈴木誠也らが着け、大杉は一度3にした後、すぐ51に戻しています。

51にこだわった選手は昔から多く、53年中日に入団した井上登はトップ選手になっても着け続けました

背番号52,53

背番号52にはイチローにあこがれ続けたソフトバンクの川崎宗則が着けた背番号で、53には“赤い彗星”こと阪神の赤星憲広がいます。

背番号55

背番号55は、巨人・王貞治のシーズン本塁打記録で、若手の強打者に与えることが多く、この背番号を経てたいていは若い番号と変えていきましたが、巨人・松井秀喜がこの番号にこだわり、その後は西武からレッズに行く秋山翔吾、オリックスのT-岡田のように、55を変えなくなった選手も多くみられます。

背番号60,66

背番号60には、「60本を目指す」と着けた南海の門田博光、おかわり君こと西武の中村剛也が着け。ソフトバンクの斉藤和巳は、エースになってもこの背番号66にこだわりました。

スポンサーリンク

それ以外の背番号の歴代選手と系譜

プロ野球でそれ以外の背番号を着けていた歴代の名選手とその系譜についてはこちらの記事でご紹介していますので、こちらも併せてご覧ください。

基本カテゴリの最新記事